5.22.2009

The Cove

私の中ではまだ消化中です。
私はイルカを食べた事もないし、取った事もない。
でも、考えることは大事だと思うのです。

今日いいなと思ったコメント。

水産生物の保全を専攻している身から意見させていただきます。感情論で語る保全は悪です。感情論で保全を語った場合、人間の目から見た優劣がつきますね。たとえば、イルカがかわいい・鯨はかしこいといってその生物を保全するとします。人間は環境に対する影響力が最も高い生物です。そのため、その生物たちはたしかに数を増やしていくでしょうがそれは自然界のバランスを崩すもとであり、自然界に住む生物すべてに対する冒涜です。保全の基本は人間の手によって絶滅の危機に瀕している生物を保全し、増えすぎた生物を減らし自然のバランスを保つことなのです。人の目から見た保全をするのではなく、自然の目から見た保全を考えなくてはなりません、それがたとえ残酷といえる生業でもです。つまり、このイルカ追い込み漁を考える場合、イルカの種を無差別に搾取する乱獲に近い漁法なら非難するべきです。しかし、もしそれが増えすぎたイルカだけを取っているのであれば、それは逆に絶滅に瀕している他のイルカ種を救うことになりえるのです。イルカの生態は似てますからね、増えすぎたイルカ種が絶滅に瀕しているイルカ種を圧迫している可能性が高いですから。
水族館に売るという面でもそうです。イルカの研究はたいてい捕獲されたイルカを購入することでなりたってます。そのおかげでイルカの生態が解明され、保全に役に立っている面もあるのです。
最後にもう一度言わせてください。保全を本当に考えるなら人の感情で保全を考えないでください。あくまで自然の観点から保全を考え、ときには必要悪になることも保全には大切なことなのです。このことを踏まえてよいホームページを作ってください。楽しみにしております。


学会で出会った教授がいわれた言葉で非常に感銘を受けた言葉があるのでのせておきます。
昔、差別をする人間は動物に優劣をつけ、劣ったとみなした動物を虐殺し、ゴリラなどの動物を絶滅にまで追い込んだ。
現在、差別をする人間は動物に優劣をつけ、優とみなした動物のみを保護した、その裏で劣ったとみなされた動物がどうなっているかも知らずに
いま、保全を考えている人々は文化に優劣をつけ、妥協点も見出さずにそれを非難しようとしている。これは今までの2者の行動と何が違うのだろうか?
真の生物保全学者は、保全だけを尊重するなかれ、文化だけを尊重するなかれ。両方をじかに触れ合った人間でない限りそれはただの差別に身を落とすのだ。
つまり、私が言いたいのは正しい保全の知識をつけることと同様に文化に対しても間接的ではなく直接肌で感じた人間(現地の人としゃべったりその地域を旅行したり)でないとかたる権利はなく、そういう人間でないと双方の妥協点は見つけれないということです。
実際、捕鯨をやっている人は諸外国から非難を浴びてますけど、口だけでかたっている人間よりはよっぽど鯨を大事にしてますよ。供養塔があったり、鯨を供養するお祭りがあったりね。
最後に私の意見ですがこの漁法は妥協点が見つかりますね。専業的・商業的にやっているわけではないので儀式を形式的にすることも可能ですし、頭数制限も可能ですしね。実際、この漁法に触れ合っていない私には口を出す権利はないですがね

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